私を揺さぶるもの(長文)。

舞台芸術が好きだ。
   
 
演劇少女だった高校生の頃から、
たくさんの舞台を見た。
大劇場での舞台、小劇場、テント芝居、
芝居、ミュージカル、バレエ、モダンダンス、
商業演劇、小劇場演劇、パントマイム、
民俗芸能の来日公演…。
 
ピーク時は年間60~70本、
少ないときでも
月に1~3本は見ていたと思う。
映画にはなぜか縁がなかった。
私は、目の前で演じられるのが
好きなのだ。


そして。
ああ、今日の感激をなんと表現しよう。
 
  
国立劇場おきなわで上演された、
組踊『執心鐘入』(しゅうしんかねいり)、
沖縄芝居『執心鐘入縁起』。

画像

   
幕が閉じて涙。
終演後の楽屋に、普段からお世話になっている
出演者の先生方を訪ねて、また涙。
    

まだ気持ちが落ち着かず、
うまく言葉にできないのだけれど、
何かが、私の中の何かと
シンクロしたのだと思う。
   

かつて、終演後立ち上がれなかった
舞台が3つほどあったが、その感覚。
とても久しぶりだ。

    

<『執心鐘入』あらすじ>
能舞台『道成寺』を下敷きにした物語。
美しさで名を馳せている少年・中城若松は、
首里へのご奉公に向かう途中日が暮れてしまい、
通りがかった家に一夜の宿を借りる。
その家には、両親の留守を守る妙齢の女性がいた。
留守中に男性を宿泊させる訳にはいかないと
最初は断るものの、若松を休ませる。
女は若松に思いを寄せ、長い夜を語り合いましょうと
言うが、若松はすげない言葉で断る。
傷ついた女は、やがて鬼となり邪となり、
若松が助けを求め駆け込んだ寺の住職の法力により
鎮められる。

      

私の数少ない「執心~」観劇経験では、
いずれも男性目線で物語が進められていたように思う。
「純粋な若松」に対し、「自分の思いが叶えられないがために
鬼と化す年上の女の執念」、という構図。
   
  
対・清国外交として、官僚の子弟男子ばかりで
上演されたという「組踊」成立の経緯を思うに、
年端のいかない男子立方の美しさ、いたいけな
感じを際立たせるために必要なストーリーと
演出であったのだろうと思う。




舞台を見る、、音楽を聴く、本を読む…
などの行為は、いずれも「何かを共感したい」
という気持ちの現れと思うのだが、
誤解を恐れず正直に言うと、私が見たことのある
『執心鐘入』は、美しさ、優雅さ、音楽の素晴らしさが
際立つものの、現代に生きる女性の私としては、
どこに…いや、誰に共感したらよいか
わからないところがあったのだ。



しかし。
今日の舞台は、その思いを払拭してくれた。
「宿の女」の気持ちの変化が手に取るようにわかる。
今日の主人公は、美少年・若松ではなく、宿の女だ。

  
立ち方を支える地謡もすべて女性。
これも本当に素晴らしく、立方とともに、
世界を作り上げていた。
素晴らしい先生方、先達。


私が女だからの共感なのだろうか。
受け取る側の体調や心情や状況にも
よるところも大きいだろうし、
状況判断を得意とする「男性」と、
心情共感を得意とする「女性」では、
感じ方がまったく違うのだろう。
けれども、間違いなく、
私は何かを受け取ったのです。




次に。『執心鐘入縁起』。
これは『執心鐘入』の作者・
玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)を
主人公とした物語。

江戸上りから琉球に戻る船の上
という設定だ。

こちらは音楽の素晴らしさが
特に際立った作品だった。
一幕ものでほぼ二人語りのストーリーを、
唄が、三線が、笛が、筝が、胡弓が、太鼓が、
七重にも八重にも素晴らしく膨らませ、
日本国から琉球に戻る船の上と、後にしてきた日本国、
それから現在と過去を自在に行き来させ、
観客を物語りに引き込んでいった。

 
先生方の演奏の素晴らしさ!
この先生方に囲まれてすごせる日々の
ありがたさに、改めて感謝。
      
 
なんというか、ここまできて
間違っていなかったなあ、と
確信した時間だったのです。


************* 
さり、私の心の動きをなんとか伝えたくて、
偉そうな、大げさともとれる言葉をたくさん
綴りました。

勉強不足の私のこと。
先生方、先輩方に大変失礼なもの言いや、
間違いや異論反論があることと思います。
     

その節は、なにとぞご容赦いただき、
どうぞご教示くださいますよう、
宜しくお願いいたします。
   

長文をお読みいただき、ありがとうございました。

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この記事へのコメント

nagai
2010年11月28日 23:15
同じストーリーの芝居でも見方が違ったり演者や演出が変わると解釈も変わってくるんですね。音楽でも最初あまり良くないとおもってたのが数年ぶりに聴いてみるとすごく良かったりすることがありますが、おなじかな?
40年近く前、ビートルズの音がいきなり体の中に入ってきて抑えきれない衝動に駆られたことがあります。高揚感を持つのっていいですね。
猫太郎
2010年11月29日 13:17
すばらしい文章です!おおまりさんの感動が伝わってきます。機会があれば小生も是非観てみたいですね。

実は昨日名古屋で「道成寺」のフルバージョンの公演があって(しかも無料)行きたかったのですが、与那覇歩さんの京都ライブと重なって、熱烈な歩ファンとしてそちらを優先してしまいました。
最近、小生のブログでも道成寺について触れておりますので、拙文ですがご興味がありましたら、ご一読下さい。

http://necotaro.ti-da.net/
→佐渡で思う「万国梁津の鐘」
おおまり
2010年11月30日 09:32
nagaiさん
ほんと、そのとおりですね。シェイクスピア作品などは、今でも世界中で上演され続けていて、演出や出演者や自分の見方が変わると、とても新鮮なものとしてみることができます。nagaiさんにとって、ビートルズは革命だったのですね。私も三線の音とであったときのことは今でも忘れられません。今は東京?北海道?沖縄より寒いことは間違いないと思うので、暖かくしてすごしてくださいね。
おおまり
2010年11月30日 09:36
猫太郎さん
ブログ見ました~。私のことも書いてくださっていてありがとうございます。劇場から帰ってまだコーフンではあはあしているときに書いたものですから(笑)、今読み返すと恥ずかしいのですが、「組踊」に縁もゆかりもなかった大和人の心も動いた、という記録として残しておこうと思います。いつもありがとうございます。またお会いしましょうね。
猫太郎
2010年11月30日 10:18
オッケ(^^)d

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